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令和2年講習会(6月)

令和2年6月19日(金)、社内講習会が行われました。
講師には織原様をお招きしました。

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続き

まず議題に挙がったのは、現在も社会問題となっている、新型コロナウイルスについてです。


新型コロナウイルスにより、4月8日に緊急事態宣言が発令されてから5月25日に解除されるまで、
国民は自粛生活を余儀なくされました。
そうして人と人との接触を減らす中で、私たちの生活様式は変わりつつあります。
テレワーク、オンライン授業、オンライン飲み会や、配達・デリバリーの普及等・・・。
これらは緊急事態宣言が解除された現在も世間で取り入れられつつあるものです。
私自身、コロナをきっかけに出前をとるようになりました。
予想はしていましたが、いざ利用してみるとやっぱり便利なんですよね。
届け先を玄関前にしているため、人と対面しなくて済みますし、
何より、少しの間待っていれば食事が届くということがとても素晴らしいです。
そのため、外出自粛が解けた今も時々利用しています。
そして、現在では感染爆発という最悪な事態は防げているものの、未だ新規感染者数は減っておりません。
今後の感染状況の流れに注目しつつ、
新しい生活様式、"ニューノーマル"に適応していくことが大切だと思います。


次に議題に挙がったのは、1946年に出版された、『菊と刀』という書籍についてです。

この本は、軍からの命令で日本の研究をしていた、アメリカの文化人類学者によって書かれたものです。
本の中で「不可解な国--日本」と記述されている通り、日本特有の矛盾のある国民性に焦点をあてた
内容となっています。

以下、本文から抜粋

(前略)
日本人以外の国民を真剣に観察し、彼らの特質について語
    ろうとするとき、
彼らが礼儀正しさにかけては比類がないと言っておきなが
    ら、「でも彼らには傲慢で横柄なところもあるよ」と言い
    足すことなどあまり考えられない。
ある国の人々の行動について、飛びぬけて融通のきかない
    ところがあると言っておきながら、
「でも彼らは途方もない変革に即応できる場合もあるん
     だ」と付け加えたりはしない。
(中略)
ところが、これらすべての矛盾点が、日本について語る書
    物の縦糸と横糸をなしているのだ。
(後略)

ここでは紹介しきれませんが、他にも多くの「日本人の矛盾」を指摘しています。
私も読んでいて、確かにそうだな、当てはまるな、と思うところが多々ありました。
前述した新型コロナウイルスの話題と絡めると、
日本が感染爆発を防げているのは、こうした矛盾のある国民性にあるのかもしれません。


そして、最後に議題に挙がったのは、自動車の自動運転についてです。

実際に起きた、運転支援システムの導入された車での居眠り運転を題材に、
自動運転による交通事故の責任の所在はどこか?という内容でお話していただきました。
自動運転には、自動化される度合いによって、いくつかのレベル分けがされています。
レベルは1~5の5段階であり、数字が大きくなるほど自動化されているということになります。
織原様の話によると、レベル3までは完全な自動運転ではないため、
運転の主体は運転手にあるそうです。
当然、過失の責任も運転手にあるということになります。
今回の題材に挙がった自動車は、加速・減速・ハンドル操作の支援がついた、レベル2の自動車でした。
そのため、この事故の裁判で運転手には有罪判決が下ったそうです。
ただ、自動運転の技術の進歩は凄まじく、
走行中にスマホや、カーナビのテレビを見ることが可能なレベル3の自動車が公道を走行可能になりました。
しかし、忘れてはならないのは、あくまで自動車における自動運転は運転手を支援するものであり、
運転手が完全に運転を放棄してよいわけではないということです。
過失の責任は自動車会社ではなく運転手に問われます。
自動運転機能のある自動車を運転する際には、このことを肝に銘じて、安全な運転を心掛けていきたいです。

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